「ゴマ(胡麻)の味は心を映す。自然体の笑顔で、たっぷりと新鮮なゴマを詰めてサービスすることで、お客さまは幸せな気持ちになってくれる」
真顔で熱く語るのは、深堀勝謙さん(46)-株式会社わだまんサイエンス代表取締役だ。
「世界を平和にしたい」という深堀さん-それが、小さな「ゴマ」とつながっている。
深堀さんが歩んだ道は、必然的に「ごま」が終着点だった。
感謝の気持ちと幸せを願う『念』を込めて、ゴマをつく
商都・大阪を代表する老舗デパート「阪急うめだ本店」。
大勢の買い物客で混雑する店内。地下2階の食料品売り場にエスカレーターで下りると、どこからか香ばしい胡麻の香りが漂ってくる。
その香りに誘われるようにフロアを進むと、白いシェフ姿に深紅の四角巾が印象的なセサミマイスターが、「杵」と「臼」を使って胡麻をついている。ヘルシーフードフェアに出店している京都・ごま専門店「ふかほり」の即売ブースだ。
ときには1時間以上も待つことがある常連さんたち。それでもお客さんの多くは、毎回この即売を楽しみにしている。ふかほりの「金胡麻」に惚れ込んだ人ばかりだ。
深堀さんは、ひとりひとりのお客さんとの会話を大切にしながら、感謝の気持ちと幸せを願う『念』を込めて、ついたばかりの胡麻をその場で袋詰めして手渡している。
ブースいっぱいにいつもお客さんの笑顔があふれる、ふかほりのフェアでの売上は、1週間の催事で五百万円を超える。これは、阪急百貨店全体を見渡しても図抜けてトップだ。
窮地からの生還・・・人との出会い、ゴマとの出合い
しかし、ここまでの深堀さんの人生は、順風満帆ではなく、大嵐の連続だった。
「繰り返し窮地に立たされたときに、偶然に大切な人との出会いに恵まれ、そのつながりに支えられて、なんとかここまで乗り切ってきた」
若い頃、大阪の製薬会社で機能性食材の研究開発の仕事についていたが、持病の喘息が悪化して三度も救急搬送され死線をさまよった。
「死ぬほど苦しくて、これならもう死んだ方がましだ!」と考えるくらいつらかった。
死と直面したことで、「一度きりの人生だから、自分の信念のまま生き抜こう!」と決意した。
その頃に出会ったのが、大阪・天満で店を開く明治16年創業の胡麻司和田萬商店・和田大象さんだった。
深堀さんは、「胡麻の葉茶」の共同開発を通して、栄養の王様と言われるゴマの魅力に引き込まれていく。
そして、人としての和田さんや、「お客様とご家族」「社員と家庭」「大自然と地域社会」の三方善の経営方針に心酔することになる。
「胡麻の魅力に取りつかれているうちに、あんなに酷かった喘息がすっかり治ってしまった!」
その後、「発芽胡麻」「発酵胡麻」の研究を重ね、33歳で和田さんに弟子入り。「胡麻石鹸」「胡麻若葉青汁」などを開発して、2007年に「株式会社わだまんサイエンス」を創業した。
営業不振・火事を乗り越えて
機能性素材の展開とOEM商品受託専門企業としてスタートしたわだまんサイエンスだったが、創業から5年間で赤字が積み上がり、その総額8000万円以上に達した。
「おにぎりふたつ持って必死に営業に回っても、業績は一向に上向かず、廃業を覚悟していました」
悪いことは続くもので、稼ぎ頭のひとつのクレープ専門店「胡麻屋くれえぷ堂」から出火。ストーブの消し忘れがボヤとなり、店内・厨房は営業再開不可能と思われるくらい焼けてしまった。
しかし、「これで社員が一丸になって、店の再建に取り組んでくれたことが、会社にとって大きな転機になった」と、深堀さんは振り返る。
その後のわだまんサイエンスは、「胡麻屋くれえぷ堂」に加え、「ごま福堂」をアドバイザリー契約店として、大きく販路を広げた。また、伊勢丹を起点として阪急など全国の有名百貨店での催事販売を開始。「京都・ごま専門店ふかほり」をオープンさせて、事業を拡大していった。
「謙虚・感謝・平和の心でお客様を幸せにすることを考え、ビジネスは困り事の解決の手段でなければならない」と語る深堀さんの言葉は、こんな苦労の積み重ねの中から生まれている。
最貧国の農民を小さなゴマが救う!
深堀さんが、ゴマにこだわる理由は、味わいや健康食品としてだけではない。もう一つ大きな理由は、「世界平和」につながっているからだ。
古来、日本の食文化に欠かせない健康食品のゴマだが、その国内自給率は0.1%以下。栽培に機械を導入できないので、東南アジア・アフリカ・中南米などの貧しい地域からの輸入に頼っている。
現地の人たちが手作業で耕作し、手作業で収穫したゴマは、そのまま船で日本に送られてくる。
農産品としてのゴマは、日本では残留農薬制限が非常に厳しく、サンプルが少しでも基準値を上回ると、コンテナごと出荷国に返される。これを「シップバック(Ship Back)」といって、貧しい農民たちにとっては、大量の返品リスクが死活問題になる。
「よくない」とは分かりながら、最貧国の農民たちが麻薬の栽培などに手を染めるケースが少なくないのは、そんな背景があるからだ。
「生産国の窮状を助けるためには、ゴマを高付加価値の加工品として輸出することがベスト。シップバックのリスクが下がり、利益を確保することができて、貧しい生産者のためになる」と語る深堀さん。
杵つきの道具を寄付し、所作も含めた焙煎などの技術指導を、現地でこつこつと続けている。いまでは、南米パラグアイだけでも40人もの弟子が、「セサミマイスター」として地元で活躍している。
「『縁』を『輪』のようにつないで、世界を平和にしたい!」
「いつの間にか日本は、お金の信者ばかりになった。地位や名誉にこだわって楽して儲けることばかりを考えている。ぼくは月に3万円だけ自由にさせてもらえばいい。稼いだ残りのお金を幸せの道具として、ひとりひとりひとつひとつの『縁』を『輪』のようにつないで、世界を平和にしたい」
“謙虚なこころ” “感謝のこころ” “平和を祈るこころ”で、深堀さんは今日も自慢の「杵」と「臼」で、「幸せのゴマ」をつく。