「今朝食べた 食事のことも 幻か」
朗らかな読み上げに、お年寄りがテーブルの上に乗った絵札を見回す。
大きなおなかの男性が食べ物を思いうかべている絵に、「あった」と手を伸ばす老女。「あれ、間違った」「そっちだよ」と明るい声が飛び交い、笑いが起きる。
伊丹市や西宮市で、こんなかるたを楽しむグループが増えている。
使っているのは『認認かるた』。認知症予防を目的に作られたものだ。
誰もが認知症になるかもしれない
『認認かるた』を思いついたのは、看護師で「認知症予防啓発ボランティア・Dクラブあかずきんちゃん」代表の宮本節子さん。
宮本さんが初めて認知症の方に関わったのは平成5年。まだ「認知症」という用語が無く「痴呆」と呼ばれていた頃で、そのことへの理解は現在の状況と大きくかけ離れたものだった。
宮本さんは、老人訪問看護制度がスタートした平成4年から、伊丹市訪問看護ステーションで在宅療養生活を送る高齢者訪問看護の仕事を始めていた。が、当時は、一般の人だけでなく医療職でさえ、認知症に対する正しい知識や対応方法に関する見識がなく、当事者の気持ちへの寄り添い等はほとんどなかったと言えよう。
その頃宮本さんが担当していたのは80代の高齢者の夫婦だった。
夫ががんで在宅療養をしており、同居の妻は熱心に夫の介護をしていた。何度か訪問するうちに「奥さんの行動が何かおかしい」と感じることがあったが、介護の疲れもあるだろうし、と思いながら日々が過ぎ、
病人は半年ほどで亡くなられた。
しかしその頃には、妻の認知機能低下はかなり進んでいたのだ。夫の葬儀のとき、横たわる夫を指さして「そこで寝ている人は誰?」「お父さんはどこに行ったの?」・・と、混乱する様子を見て、宮本さんは耐え難い思いになった。そして、「私は、お二人に対して何ができていただろう」「不安や混乱への対応が、何もできていなかった」という後悔の言葉を心の中で繰り返した。
その経験から、「認知症をもっと学び、少しでも認知症の方やそのご家族の、不安や混乱、悲しみ、近隣の誤解からの辛さや苦痛を少しでも軽くなるようにしたい」という思いが募った宮本さんは、
看護師の知識だけでは足りないと考えて福祉の分野について勉強し、資格(社会福祉士。精神保健福祉士等)を取得した。今日まで福祉の仕事(在宅訪問看護、在宅介護支援センター相談員、ケアマネジャー)をかれこれ25年続けている。
市民から集まった句でかるたを作る
こうして認知症の予防、サポート、ケアを本人の気持ちを踏まえて行うための活動を続けた宮本さんは、カルタを作成してはどうだろうと思いついた。地域の顔がつながる「場」での馴染みの関係を作り、認知症の理解や助け合い、予防を楽しみながらできるようになるために、カルタが役立つと考えたからだ。
カルタを通して、「これはどういう事を言っているの?」などストレートに疑問を投げかけられる、また、専門職がいなくても、基礎的な知識をカルタを題材にした副読本で得ることができる、そしてかるた会の中で、地域での課題や心配事を話し合うことで、各自の行うべきことが明確になってくる。
さらに、周囲の優しさや理解を感じられれば、家族や自身の認知症への不安について、仲間にカミングアウトもしやすいだろう。
そういうことが、認知症になっても孤立せず安心して過ごせることに、つながる。
かるたの内容は、認知症に関する句を2015年の5月から8月まで公募し、市民から集まった294句の中から選定した。
読み札には、例えばこんな句が書かれている。
「買いものを メモに書いたら メモ忘れ」(認知症の主な症状の理解)
「いわしさば さんまも食べて 元気です」(毎日の生活の中で行える予防)
「オレンジの リングの数だけ 愛がある」(認知症の方へのサポートの仕方)
「忘れても 心に残る 人の愛」(認知症の方や家族の気持ちの理解)
「無理でしょう 決めつけないで 見守って」(介護支援)
そして、取り札である絵札の絵は張り子造形作家の大瀧千絵さんに、カルタ製作は手作り絵本作家の吉岡敬純さんに、依頼した。描くことや製作についてはプロのお二人も、認知症についてはわからないことだらけで、1枚1枚すいぶん大変だったという。
また、絵札には、ふつう読み札最初の1文字を入れるが、あえて絵だけにした。聴いた言葉と絵とをつなぐことで認知能力をより高めることができると考えてのことだ。
かるたの試作には多くのボランティアの方達も関わっている。このようにして完成した、作った人の思いが感じられる『認認かるた』、宮本さんは「認知症が他人ごとではないという目覚めにつながればうれしい」と願いを込めている。
協力してくれた人たちへの感謝
その後、宮本さんは、「認知症の方や家族が安心して暮らせるために、また今は治療法が確立されてない認知症の予防が少しでも出来るなら」という思いを胸に『認認かるた』普及のボランティア活動を始めた。
「活動を始めてから、どのくらい多くの方に助けて頂いたり相談したりしたかしれません。協力していただいた方は数えきれないくらいです。皆さん驚くほど優しく協力してくれました」と宮本さんは、自分が支えられていたことへの感謝を目を輝かせ、笑顔で語ってくれた。