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ゆいトレ

ふるさとの島の赤い土で、
    
究極のジャガイモを作る

物語ファイルNo.6 沖永良部島「伊村農園」


大手広告代理店辣腕営業マンから専業農家へ、
愛と夢のUターン!

その農園は、美しい海の沖永良部島にある


「よかった~。今年は例年になく豊作になりそうだ」
伊村達児さんは、5ヘクタールの広い畑の真ん中で、満面の笑みを浮かべた。
バレンタインデーの前日、伊村農園では今年のジャガイモの収穫が始まった。前年の11月から12月にかけて植え付けた「メークイン」「ホッカイコガネ」「インカのめざめ」などを、成長にあわせて大切に掘り起こしていく。

10万平方メートル(約3万坪)の広大な畑いっぱいに育ったジャガイモ

収穫のあと、低温条件で一定期間貯蔵管理して熟成させて、でんぷんが一部糖化してさらに甘みが増してから、出荷することになる。
昨年は雨が続き、4月中に収穫を終了する予定が、2ヶ月も延びた上に、収量も少なかったから、豊作の歓びもひとしおだ。

伊村さんの畑は、奄美大島と沖縄本島の間にある鹿児島県沖永良部(おきのえらぶ)島にある。周囲40km・人口約1万5千人の南海の小島だ。
海岸線には南国らしい可憐な花々が咲き乱れ、青い海と鮮烈な色彩の共演を見せる。
那覇(沖縄)から飛行機で約1時間、鹿児島からだと1時間半もかかり、観光地としても決して交通の便利がよいとはいえない。

沖永良部島最大の観光資源である海
大小200本・最長10キロに及ぶ世界屈指の美しさの鍾乳洞群


世界一のジャガイモをつくるためのこだわり農法

沖永良部は島全体が珊瑚礁でできていて、山の中腹でも海水のミネラル分をふんだんに蓄えた赤土の土壌が広がる。
この土を活かして、テッポウユリやフリージアなどの花や球根、サトウキビやジャガイモの栽培が盛んに行われている。しかし、土地が痩せているので、作物の味は良いが収量が少ないのが農家の悩みだ。

40万年かけて隆起した珊瑚礁による赤い土壌が島全体に広がる

農業で稼ぐには、化学肥料や農薬を使って、安定して多くの収量を確保することが必須。
だが、伊村さんは、就農当初から無農薬・有機栽培にこだわってきた。
「消費者の大半は、口にするものには、安心安全を求めているから」
ミネラル分を補充するために畑に海水やニガリを撒き、土中の微生物を増やすために米ぬかやコーヒーを鋤込んだり散布したりする。
誰もが安心して食べられる、世界一おいしいジャガイモを作るために、伊村さんは試行錯誤を重ね、苦労や努力を惜しまない。


幻のいも「インカのめざめ」

ジャガイモの原産地・アンデスで、晴れのお祭りにしか食べられなかった高級ジャガイモ「ソラナムフレファ」種を日本向けに改良したのが「インカのめざめ」だ。
栗かさつまいものような風味と、じゃがいもとは思えない鮮やかな黄色、ジャガイモの糖度は一般的に5度程度なのに対して、「インカのめざめ」は6~8度と糖度が高く、甘みと濃厚な味わいが特徴。

驚くほど糖度が高い黄金のジャガイモ「インカのめざめ」

しかし、「インカのめざめ」はとても栽培の難しい品種だ。疫病や害虫に弱く、小ぶりなので機械を使えず収穫が手作業になるため、生産量は少なく、市場にはほとんど出回っていない。
多くの農家が「もうからない」と敬遠するこんな希少種を、あえて無農薬・有機栽培の理想に近い特別栽培(※)で作ることに挑戦するところが、伊村農園の真骨頂なのである。

※ 特別栽培農産物とは、その農産物が生産された地域の慣行レベル(各地域の慣行的に行われている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下、で栽培された農産物。

大震災で芽生えたモノづくりへの思い

伊村さんは、沖永良部島和泊町で生まれ、宮崎県の高校を経て、一橋大学に進学した。
1993年に卒業して、電通に就職し、関西支社の営業部門で活躍した。

電通を辞めた最大の理由は、「自分の手で何かモノを作りたい」と希求するようになったこと。
きっかけは、1995年1月の阪神・淡路大震災だった。
未曾有の大震災で260万戸が停電。それを自分が担当していた関西電力は、わずか1週間で復旧させた。
「このときほど、電気の大切さを痛感し、電気を作って人の役に立つ電力会社はすごいと思いました」
 ――自分もモノを作る仕事がしてみたい。
 ――「伊村」の看板で勝負してみたい。

そう考えたとき、沖永良部で農業をしている父親の姿が思い浮かんだ。
 ――本当の幸せはカネでは得られないのではないか。
島には広い農地がある。一生懸命に農業に打ち込む父の姿を見て育ち、「戻っても生きていける」という変な自信もあった。
「バツイチで、守らなくてはならない家庭がなかったのも、就農という冒険を気楽にできた大きな理由でしたね」――伊村さんは笑いつつ、屈託なく語る。

農作業の合間の休憩はコミュニケーションタイムになる

42歳で半農半学の再出発

就農を決心した伊村さんは、2010年7月、電通を退社。農業経済を学ぶのと人的ネットワークづくりのために、沖永良部島から最も近い琉球大学大学院農学研究科修士課程に進学した。42歳の再出発だった。
「いずれはレストランを開業して、自分のつくったジャガイモ料理を出したい」
修士課程では「学業2」「農業1」だった割合が、博士課程に進んだ今は、逆転している。

電通を退職して琉球大学大学院に進学した伊村さん

就農2期目には、農薬を使わなかったことで作物に病気がまん延して3分の1を廃棄した。6期目の昨年も、細菌が繁殖する「軟腐病」が発生し、収穫1週間前に大きな被害を受けた。 またジャガイモは買い取り価格の変動が大きく、農業で安定した収益を上げることは難しい。それでも伊村さんは、徹底して無農薬・有機栽培にこだわる。
「なんとか将来は、ホームページでの直販を半分まで高めていくことが目標です」
農協経由での販売では、丹精込めた自分のジャガイモも、ほかの農家と同じ仕切り価格で売り渡さなくてはならず、他の産地のものとも一緒に扱われてしまう。
伊村さんの農業ビジネスを確立させるためには、消費者と直接つながるチャンネルを拡大することは不可欠の命題だ。


死線を越えて――それでもぼくは究極のジャガイモをつくる

伊村さんは、心臓を制御する伝達経路に異常があって、しばしば鼓動が速くなる疾患があった。しかし、手術は行わずに経過をみていた。
それが2016年6月に、致命的な心臓発作を引き起こす。瀕死の状態で沖永良部の病院に運び込まれ、蘇生措置を行ったあと、ドクターヘリで沖縄本島の病院に移送。3週間集中治療室に入り、この間に2度の手術を施された。
9月にペースメーカーを装着し、その後は激しい運動はできず、息切れはするものの、週1~2回あった発作は治まった。まさに死線から甦ったのだ。
「神経は再生するというから、セカンドオピニオンも受けたけど、いまは運命を素直に受け入れるほかはないです」
それでも伊村さんは、沖永良部の青くて美しい海を背に、1ヘクタールからはじめて5ヘクタールまで拡げた畑で、「究極のジャガイモを食べてもらおう」と、今日も農作業に汗を流す。

伊村農園自慢の桐箱入りの新じゃが

(取材記者・和崎宏)
参考資料:HQ vol.41 冬号(January 2014) People 伊村農園 代表/伊村達児氏


                          


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